今回の北海道旅行に至る縁

北海道旅行に至る縁

会社のリフレッシュ休暇という「5営業日連続で休める制度」を使って家族で北海道に来ています。 この文章を書いているのは、AirBnBで五連泊している札幌のマンションの寝室。 朝六時前、まだ家族が起きる前の布団の中でモゾモゾとスマホを使って書いています。

僕自身は千葉県で生まれ育ったので北海道は遠い存在ですが、 思い返すと意外にも縁深さ感じたので、朝日が昇って家族が起きるまで文章を書いていようと思います。

  • 祖母が樺太から逃げてきた先が北海道
  • 父の不動産投資先が北海道
  • ライジングサンの思い出
  • 妻との初旅行が北海道
  • 母の移住先が北海道

トピックとしてはこんな感じです。

祖母が樺太から逃げてきた先が北海道

母方の祖母は三年前、コロナ禍の真っ最中に亡くなりました。 生前、彼女は家にお客さんが来ると「戦争辛かったわ」話をするのが好きで、 大昔の地図と写真を引っ張り出してきては、涙ながらに話をしていました。

祖母の実家は樺太で写真館を営んでおり、90年以上前の写真がたくさん残っていました。 そこそこ裕福だったらしく、その時代では珍しく女性の身ながらにして東京理科大の前身の学校に通っていたそうです。 戦争が佳境になった時は電車と船を乗り継いで樺太に帰り、 小さい兄妹達を引き連れて銃殺されそうになりながらも命からがらで北海道にたどり着いたというのを武勇伝にしていました。

祖母はそのあと仙台に下り祖父と出会うのですが、兄弟の何人かは北海道に定着して僕の実家に毎年いくらの瓶詰めを送ってくれるのが繋がりとして残っていました。 僕目線で言うとご飯茶碗にいくらをジャバジャバ載っけてかっこむ贅沢な丼を時たま食べていた幼少時代の思い出があるのみですが、 その背景には祖母の壮絶な人生が隠れていたわけですね。

父の不動産投資先が北海道

僕の父は小学校の教師だったのですが、ソウル日本人学校の赴任時に貯めた手当やその間の日本の家の家賃収入などを元手に為替投資を始めて、 セミリタイヤを52歳で成し遂げた結構すごい人です。

彼がセミリタイアをして次に始めたのが国内外の不動産投資なのですが、その投資先の一つが札幌でした。 投資先のマンションのいくつかに転々と住んでいたので、その当時父はマレーシアに住んだり北海道に住んだりしていました。 不動産投資につらみを感じて現在はほとんどを売り払ってしまったのですが、母が気に入っていた札幌駅の近くの一室だけは残っています。

父が北海道に住んでいたので、ラフに北海道行っちゃおうかなぁみたいな気持ちで旅行できるのが僕にとってのメリットでした。

ライジングサンの思い出

僕は高校卒業した年から毎年、友達何人かとロックインジャパンフェスに泊まりがけで行って、 カントダウンジャパンで年を越すのを恒例行事にしていたのですが、ライジングサンは流石に遠征費がかかりすぎるので躊躇っていました。

ある年、そういえば父が札幌にいるから泊まれるし車も持ってるから、航空券だけ取ればいいな。安く済むじゃん。 と気づいたので、フェス友の一人を誘って北海道に乗り込むことにしました。 その体験がとても良かったので、その次の年はフェス友6人で北海道旅行も兼ねて行って、 モエレ沼公園でチルったり、海鮮丼をたべたり、若者らしい旅行を楽しみました。

ライジングサンはオールナイトでライブが行われるのですが、 僕は夜になると何があっても寝る性質で、みんなの毛布をかき集めて一人でぬくぬくと寝ていたため、 顔中に落書きをされていたのも良い思い出です。

もう5年くらい会ってないけどみんな元気かな。

妻との初旅行が北海道

妻と付き合って初めてのデートがなぜかちょうど父の還暦の誕生日のことでした。 還暦のお祝い自体をしてあげようと思っていたのに「いや、その日はクアラルンプールにいるんだわ」みたいなことを言われて、 妻にデートのお申し込みをした記憶があります。

そんな流れもあり、父には近いうちに会わなければというのもあり北海道に妻を連れ立って遊びに行ったのでした。 北大の銀杏並木を歩いたり、小樽で運河を渡ったり、ビールで酔い潰れたりと楽しい思い出が増えた旅行でした。

母の移住先が北海道

祖母の話に一旦戻ります。

仙台に降って祖父と出会った祖母ですが、祖父と共に仙台で産婦人科を営んでいました。 祖父が先生で、祖母が看護師をやっていて二人三脚で営んでいたそうです。 僕も祖父と祖母の手によりこの世に生を受けた一人で、それを誇らしく思っています。

晩年になると整備区画による立ち退きと同時に引退して、千葉にある僕の実家の隣に引っ越してきました。 僕の実家は団地の五階にあったのですが、家を買うときに隣に祖父祖母も家を買っておいて引っ越せるようにしていたようです。 そこから僕の実家はベランダの防火扉をぶち抜いて、ベランダ伝いに祖母の家に行く様な環境に身を置くことになりました。 珍しいですよね。

祖父は引っ越してきて割とすぐに亡くなってしまったので、そこから祖母は一人暮らしをしていたのですが 15年前になると、五階まで階段を登るのはつらすぎるということで、二つの家を売り、駅前にできた新しいマンションに移って祖母と母は一緒に住むことにしました。 父は祖母と折り合いが悪かったのと自由人な気質もあって「俺はクアラルンプールに住むんだ」と行って、別々に暮らすことになったそうです。

父と母は仲良しなんですが今も一緒に暮らしておらず、年に数ヶ月お互いの家に行ったり一緒に旅行したりする以外は、それぞれの人生を楽しんでいます。 あまり聞かない夫婦の形ですがそれも一つのあり方なのかなとも感じます。

3年前に祖母は大往生の末亡くなり、母は駅前のマンションに一人で住んでいました。 僕ら夫婦がどこに家を買おうか迷っているところに「この家住む?私は北海道のマンションに引っ越すわー」と助け舟を出してくれて、去年の3月に引っ越して行きました。

おわりに

というわけで今回の北海道訪問をわかりづらく一文で書くと、 祖母が亡くなって不要になったマンションを僕らに譲ってくれた「父がむかしむかしに不動産投資で買ったマンションに住んでいる母」に会いに行くための旅行、なのでした。 そろそろ娘が起きそうなのでこの辺で。